根性論で仕事を覚えてきたけど、何か違った
時代だったんでしょうね。
私が社会人になったのは約30年くらい前。
その頃はまだパワハラって言葉も無かったような時代です。
根性や精神力の時代でした。
当時の上司の教え
入社した時の上司の教えは以下の通りでした。
・1日は24時間ある。時間が無いとは言うな。
・能力が無ければ時間を費やせ。
・前夜に何時まで飲んでも良いから朝遅刻だけはするな。8時前にタイムカードを押せば後はトイレでくたばっていても良い。
・やるって言った事は絶対にやれ
また、入社直後に海外赴任したので若い人もおらず友達もいない、(30年前なので)ネットも自由に使える環境で無いから、孤独な時に本屋で買って読んでいた啓発本が過去のビジネスの偉人の本でした。
その本の内容が、
「22時なんて宵の口だ!」
「人の3倍働いてください。実際8時間の3倍で24時間働けないから、働いていない時間は”より良く、より早く、より安く”できる様に24時間考えてください。」
なんて本だったので、更に上司どもの考えに染められたわけです。
でも、これらの内容は重要な事なんですよ。当然。
当時の教えで得る事ができた事
ただ重要であると言っても仕事をする上で重要な事ではなく、心掛けとしてです。
イザとなった時、全力を尽くさなければならない時が来たら、逃げずに徹底的にやってやる。
その最後の気持ちの持ちようと言いますか、覚悟を決めて仕事に挑む姿勢が若い時に身に付いたのは良かったと思います。
会社の仲間と夜を徹して品質のトラブルに対処したり、夜を徹して製品を作り上げてフラフラになりながら朝イチでお客に届けた時、お客さんの社長さんからは、
「○○○(当時勤めていた会社名)は全力でやる事をやり切ってきたぞ。次はうちらの番だ!」
とうちの会社がトラブって遅れているのにもかかわらず、社内に号令を掛けてくれたりしました。
また、品質トラブルがどうしても解決できず、深夜まで掛かって何度もトライエラーを繰り返して、朝方やっと原因が掴めて朝出勤してきた作業者に生産を委ねたりしたこともありました。
営業やっている時は、あと一歩で大きな仕事が取れる段階になって、客先から「一つだけ引っ掛かる事があるから社内説得資料を明日朝までにまとめて欲しい」と夜に言われて、翌2時まで掛かって資料を作成したことも。
この時は、新しい仕事をとるって本当に大変だなあと実感もした時でした。
まだまだ沢山根性で仕事した経験があります。
こんな記事を書きながら、やっぱり仕事って根性論なのかなって思えても来ました・・・。
今振り返って間違っていると気付く事
今まで私の上司は誰も
「最小の労力で最大の効率を上げよ」
なんて言ってくれた人は居ませんでした。
完全に洗脳されていましたね。
ガッツリ働く事こそが仕事と思っていて、効率よくやって早く帰社するなんて考える余裕もありませんでした。
効率よくやれば余裕が生まれ、余裕が生まれればミスも減るしアイデアも浮かぶ。
手を抜ける所をしっかりと判断して、不要だと思う仕事を無くしてゆく。
今思うと、必ず考えなければならないのは「いかに仕事の効率を上げるか。」を常に考えること。
それが会社全体の効率化にもつながり、更には新しい「何か」を生み出す力になるのです。
ブレークスルーは、人を追い込んで追い込んで追い込んだ精神状態から浮かんでくるもの。
それもあるが、課題さえあれば自分で考え続ける事で新たなブレークスルーが生まれる事もある。
考え続けるには、余裕が必要です。
目の前の仕事におぼれている状態では、課題を考え続ける事も出来ません。
私は製造業なので、「生産現場の効率化」についてはさんざん考えてきましたが、よくよく思い返すと「自分自身の仕事の効率化」に関しては全然考えた事がありませんでした。
今の自分もたまに定時に帰る事ができるような日であっても、何故か7時とかまでかかってしまう。
そんな仕事の仕方が体に染み込んでしまったんでしょうね。
私が徹底的に叩き込まれなければならなかったのは、根性論でなく効率化の精神だったのかもしれません。
「24時間働け」は通じなかった・・・
以前海外で働いていた時に、現地スタッフが余りにも仕事をやらないので、実際にやらせるわけではなく心構えの一つとして、
「何で出来ないんだよ。1日は24時間あるんだぞ。」
と言った所
「仕事時間は8時間だろ。寝る時間だって必要じゃないか。」
と極真っ当な意見を述べられました。
「24時間働け」って言葉は、パワハラの状態でないと通用しない理屈だと悟りました。
もしかしたらそう言う時も必要だろうけれども、強制される事でもないだろうし、本当に本当に本当に必要なのか?って考えれば案外そうでもない事もあると思おもいます。