対策書作成の技術

スムーズなクレーム処理には技術が必要です!

クレームの辛さから逃げたい時

Pocket

 

このサイトは、製造業の品質クレームに対して作成しています。

クレームには色々な種類がありますから、全く共感できないかもしれませんが、気持ち寄り添っていけたらと思います。

 
抱えているクレームは会社によって異なりますし、厳しさは客によっても異なります。

自部署、関連部署の協力、又は経営者の考え方によっても違ってきます。

また、あなた自身の耐ストレス性によっても異なるでしょう。

だから、私が今逃げたいと思っている状態は、あなたにとってみたら全く軽い問題に思えるかもしれません。

でも、私が思っている事を書いてみたいと思います。

現状のクレーム

客先は純正のカーナビやオーディオを組み立てている大手企業。

会社としてはここ1年ちょっとでやっとビジネスにこぎつけた所。

そこで先々月くらいからちょこちょこクレームを受けており、先週そのクレームが再発。

大至急対策を説明しろと言われて土日も深夜まで費やして説明資料を作成して、飛行機に乗って説明に向かった。

説明から戻ってきた翌日、別の現象で再発。

更に、同じ日に新しい別のクレーム発生。

翌日また飛行機で急遽先方に謝りに行く。

同時に他の車載メーカーからもクレームが入った。

 
そんな状況で製造責任者はのんきに有給休暇。

頭のおかしな部長は、客が激怒しているのに「わざわざ詫びに行くな」とか、大至急対策しろと言われているのに必要な部材注文書を承認もせず嫌がらせ。

要は他部署の協力は無いに等しい状態。

 
品質部署の一人は新規製品立ち上げで1週間海外出張。

そんな中唯一頼りにしているスタッフが、子供が事故で手術する事になったから休みを取らせてくれとの事。

流れが悪すぎる。

重圧の原因

「トラブルから逃げたらだめだ。」

「目を背けるな。」

とよく言われます。

当然ですよね。

客はちゃんと直してほしい、でも担当がトラブルに向き合って解決してくれなければ、解決するまで「どうなっていますか?」って聞いてくるのは当たり前です。

 
でも、私は嫌な事から目を背けたがる性格。

トラブルがあるだけで大きなストレスを感じます。

「しっかりと、客が完全に満足するようにしなければならない。」

って完璧主義過ぎるのかもしれません。

それを、他部署や経営の協力無しで、一人で解決しなければならない事に対してストレスを感じているのかもしれません。

 
何でこんな事になったのか。

これまでに、会社が若しくは部署が、従業員を育てると言う事を置き去りにしてきたツケが回ってきたような気がします。

会社が、明確な方針の基品質管理をベースに生産をしてこなかったツケなのかもしれません。

あれ?

気づくと、口を開ければ「会社が・・・」「会社が・・・」。

自分の解決能力の無さ、無能さを会社のせいにしている。

私は最低のサラリーマンかもしれません。

でも、他部署が大きなトラブルが発生しているにも関わらず、真剣に解決する様子が見られないのは事実です。

自分たちで問題の真因を探り、確実に継続できる対策を打つ能力が無いのも、間違いなく教育不足です。

私も会社も両方無能なのでしょう。

無能の集まりだから、トラブルが絶えないのでしょう。

どうしたらいいのか

とにかくこのストレスから何とか逃れたい。

どうしよう。

どうしたら良いも何も、ただただ処理をするしかありません。

厳しい2社から同時に複数点のクレームを受けていますが、どちらかを後回しにするしかありません。

暫定的な回答をしたうえで。

本来なら客の先回りをして、後手に回らない様にアクションを早める事を気を付けていますが、ここまでクレームが重なるとどれから手を付けて良いかわかりません。

「客がつついてきた内容を処理する」

後手後手の対応で、何とか時間が過ぎて問題が落ち着くのをひたすら耐えて待つしかないのでしょう。

当然会社の評判は落ちるでしょう。

それを会社としての問題と考えないアホな部長と、喉元過ぎればすっかり忘れるクソの様な製造責任者。

その責任は品管部署に押し付けられる事は見え見えです。

それも考えてしまい、言われる前からストレスを感じます。

こう考えると、協力して問題を解決する土壌が無く、個人で抱え込混ざるを得ない状況が、心の重圧となっている様です。

その様な企業文化が改善されないのであれば、また転職も考えなければならないのかもしれません。

思い返したら、逃げてばかりいた

問題と向き合う事が苦手な私ですが、先ほどジョギングをしながら改めて考えていたら、昔からそんな性格でした。

体を動かさないと重圧に押しつぶされそうなので・・・。

私は基本的に「何事も時間が解決する」って思っていたんですよね。

昔から。

無理やり部活の主将にさせられた時に、ダメだった自分は頻繁に顧問の先生に怒られていた。

そこで思っていた事は、

「早く終わらんかな、この時間耐えなきゃ。」

怒られる原因を見つけて改善する気は全くゼロでした。

 
社会人になった時も同じです。

こんなんだから、同じように毎日のように上司に怒られます。

でも、怒られている時同じように

「怒られるのに耐えてたらOK。」

何をどうしていいかわからないから、怒られるのに耐えるのみ。

 
クレームの処理もそうでした。

取り敢えず考え抜いた対策書を提出して、後は突っ込みが入るから、それに答えていけばいい。

「相手の質問に答える様に何回もやり取りしてれば、いつかは解決するよ。」

って思っていましたから。

 
何か、考えているうちに中学校の時の事まで思い出しました。

私は持久走が得意ではないのですが、遅くもありませんでした。

何故なら、頑張って進んでいけば皆が脱落していくからです。

考え方の根本に、自分が速く走って勝つという考え方でなく、耐えればいいと言う考え方でした。

皆脱落していく中で苦しいけど我慢してマイペースに走るだけで中ほどの順位。

その我慢戦略で、ある意味結果も出ていたのです。

 
その頃から基本的な思考回路は、

耐えればいい。

そんな思考で成長してきました。

 
更に遡って、小学校の時もそんな感じでした。

小学校の時はイジメられていましたが、親にも学校にも相談できませんでした。

「来年のクラス替えまで耐えればいい。」

またいじめっ子と同じクラスです。

「もう一年で卒業するから、それまでまた一年耐えよう。」

そしたら、中学校の2先生でまた同じクラスになってしまい、

「中学校卒業まで耐えればいい。」

 
この「耐えればいい」と言う考え方は我慢強くなる大きなきっかけにもなったはずですが、自ら解決する事から逃げていた事が今になってわかりました。

結局「耐える」って事は「逃げてる」って事になるのでしょうか。

でも、今回ばかりは耐える戦法でないと物理的に対応できないかも。

もうこればかりは明日にならないと、客先の出方が分かりません・・・。

 

Pocket

-未分類